義父の孤独死

くららです。
年末年始に家族でバリへ旅行へ行きました。コロナがまだ心配な中、マレーシア経由でインドネシアへ渡航しました。
家族3人で楽しく過ごしました。現地では、誰もマスクしてなかったです。

バリはにぎわっていましたが、旅行客が7割戻ってきているかなってところで、
オーストラリア人が一番多いとタクシーの運転手さんが教えてくれました。確かにオーストラリアからバリは距離が近いんですね。
ノマドワーカーのような人はたくさんいましたが、旅行客はまだ完全に戻っていないようでした。

実はバリ旅行は今回が2回目です。
今回は前とは違う場所に泊まったり、観光も前回とは違うことをしようと、活発にマリンスポーツやら名所を巡りました。おいしいものも食べました。

楽しいのは楽しいのですが、毎回疲労困憊で、日本に帰って、すぐに東京へは帰らず、ひと休みってことで、焼き肉へ大阪の実家家族と行くことにしていました。
久しぶりにお気に入りの焼き肉店へ行くのでとても楽しみにしていました。当然オットも娘も行く予定でした。

前置きが長いのですが、ちょうどその週末に焼き肉へ行くというときに、オットから電話がはいり、警察から義父が自宅で亡くなってると連絡があったと連絡がありました。
身元確認ということでオットと一緒に警察へ行くことになりました。

当然、焼き肉は中止。

警察でご対面は遠慮させてもらい、オットが確認しました。
すでにミイラ化していたそうです。見なくてよかったと言われました。

新聞配達の方が、また新聞がたまってきているので、呼び出してくれたそうです。12月半ばに声かけた時は玄関から出てきて風邪をひいたと言っていたそうです。
今回は何度呼び出しても返事がなく、玄関の扉が少し空いているような気がしたので
警察に連絡してくださったとのことでした。

ちょうど例のルフィンの強盗殺人事件が起こっているときで、あとで思うと、警察の対応は、この事件を全国的に手配していたんだと思います。非常に迅速だったようです。
新聞配達の人がいつもなら地域安全課から連絡があるが、今回は違う凶悪犯を扱う部署だったと話してくれました。すぐにパトカーが来たと言ってました。
なぜか家にある義父の銀行通帳と現金をもっておられ(押収されておられ)、金目のものはありました。と私とオットに言われてとても疑問でした。

今回初めて知ったのですが、新聞配達の方々はいま地域の治安を守る役割を担ってくれているようで、警察と連携して独居老人の声かけをしているとのことで素晴らしい活動だと思いました。

警察から遺体を引き取るのですが、葬儀屋さんに葬式の手配をしてもらって死亡診断書も含めて任せるのがいいということで、お葬式まで一気にその日に手配しました。

また、亡くなった場所である家にも行き、部屋に入りました。人が住む場所には見えませんでした。どうやったらこんな砂が入ってくるのかと思うくらい、畳の上はざらざらしてました。
すべてが汚れていて、水回りは得に汚れがたまっていました。

ずっとこたつで生活していたようで、そこでそのまま寝ていたようです。こたつに入った状態で亡くなっていたそうです。

家自体は、結構広い家で、私が結婚した当初は、義母が隅々まで掃除をして、それはそれは素敵なお屋敷でした。

そんな広かった家も一人で暮らすと不便でしかなかったようです。
家も古くなってきて、戸建てならではの修繕が必要になってきます。
屋根を直したりしないといけなかったり、庭も手入れをしないからか、落ち葉だらけでした。
一人だけど光熱費は結構かかっていました。

後悔しても後の祭りですが、寒くなる前に家を訪ねて、嫌がられても何かしていればよかったと思いましたし、なにより、昨年急に寒くなった冬の冬支度をしてあげてたらよかったと思いました。

春にムスメの大学入学を報告して、会った時の義父の様子がおかしかったので、介護支援の手続きをして、介護要支援2級と認定されました。
それで、お手伝いさんに来てもらうことができると言ったのですが、他人を家に入れたくないとのことで却下され、外へサービスを受けるのもあるということで
麻雀の会に参加しましたが、二度と行かないと、帰ってきました。

義母とも早くから仲が悪く、会社を退職後は、仲たがいはさらに悪化して、義母が家を出ていく形で、そこから義父の独居生活が始まりました。
食事も作ったことがなかったでしょうし、洗濯、掃除もしてこなかったと思いますので、苦労したと思います。

お部屋を掃除しましたが、お菓子のくず箱がたくさんでてきました。料理を作るのは体力がいります。空腹をみたすため手っ取り早くお菓子を食べていたのでしょう。

そのせいか歯が減っていました。前歯はほぼなかったです。

昨年の春から、秋ごろまで頻繁に連絡をとって、家にも行っていたのがせめてもの救いです。

やはり、人はケンカしながらも、仲たがいしながらも、誰かと話し、いっしょに食事をとり、世話をしあっていくことで生きていける生き物なんだと思いました。
あるいは、自分といっしょにいることがたのしい、居心地がいいと言ってくれる人を探し、それは身内かもしれないし、友達かもしれない。そうできることを追求して、実施していく生き物なんだと思いました。
他人をなかなか受け入れない義父、家族にやさしくできなかった義父をみて、人を受け入れるというのは、とても大きな、一生かかって学ぶ課題なんだと思いました。

介護が大変だと、老々介護問題など、世間一般では介護は経済的にも精神的にも、肉体的にも負担だと言われています。
義父の最後はさみしいものでしたが、誰にも迷惑かけず、タイミングも我々家族がバリへ旅行へいったあとでした。
その前だったら旅行はキャンセルになってたでしょう。義父には親孝行らしいことができたか少し後悔は残りますが、このことには感謝しかありません。

安らかに眠って、あちらでは、旧友と再会、なにより祖父母、義父の母や父に会って、楽しい会話をしていることと思います。

今回の予想していなかった突然の義父の孤独死で、一層家族のきずなが強まりました。精神的なこと以上に実際生活していくうえで、お互いのやりたいことを尊重しながら
誰か一人に負担が行かないように、お互い迷惑にならないように、経済的リソースを保つ意味でも社会とかかわって、家族を支えあっていくことを考えさせられました。

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